昭和41年06月15日  夜の御理解



 間違っておると思っても、それを言い通すとか、やり通すとかという、これは我を通すという。人間にはそういう的なものがあるんですね。あまのじゃくとでも言うでしょうかね。間違ごうると思うても、それをやはりそれをやろうと。我を通そうとする。それには非常なやはり勢いを持っておる。だからそういう勢いをもって、本当のことを貫かないけません。我を通す時のような勢いで、本当のことを貫かなければおかげは受けられません。こうだと確信することが確信する事。
 それこそどんなことがあっても、それを貫くということが、おかげを受ける事であり、またお徳を受けることなんです。コロンブスの卵、コロンブスの卵というのが、小学校の時に読本に出ておったです。コロンブスが世界一周を致しました。当時の地球というのは、平たい物だとみんなが思い込んでおった。ところが地球はそうではない。丸いものだと。ね、ですからこれは、真っ直ぐ行きさえすれば、また元のところに帰って来るんだと。これるのだと。丸いのですから。
 そう確信したコロンブスは、あのアメリカ大陸を発見したんですねついに。同時にそれまた真っ直ぐに、こう通って結局元のところへ帰って来た時にその祝賀会があった。時に、あるその席に呼ばれておった一人が言った。考えてみれば易いことじゃないかと。真っ直ぐ行きさえすりゃいいじゃないか。ね、と成程真っ直ぐ行きさえすれば元のところに帰ってくることが出来たんだ。だから見やすいもんなんだ。教祖があの信心も見やすいものじゃと仰る、そう言う様な事かも知れんと思うですね。
 確信した事を真っ直ぐ進むこと以外にないのだから。だから本当言ったら見やすい。けれどもその見やすい事をですね、実証する事は大変な勇気と、やはり決断力がいっとった、いっとったに違いない。途中で引き返そうかと言う様な言があったかもしれない。ですからね、本当におかげを頂くために、そこんところを貫き通さなければ、そしてまた元の所に戻ってくるという、そういう貫き通すものがなからなければ、おかげは受けられん。そこんところを場合によっては、ままよという心ならないかん。
 ままよとは、死んでもままよの言ぞと、言う様な事にならなければいけん。ところが出発点からこれは自分の我だと、自分の欲だと分かっておりながら、それを通そうとする。ね、それは間違い反省してこれは間違いとこうと思ったら、それは例えよしそれが自分より身分が下のものであろうが、子供であろうが、これはお父さんの言う事が間違っておった。というふうにです、私はその改めていくのが本当だと思うけれどです。
 やっぱ言いだした手前、いいやちいうてからその勢い、勢いがその押し通そうとする。ね。だからそういう勢い、で本当のことを言い通さなきゃいかん。やり通さなければいけない。これは、あの誰の家のことでもそれが言えるんですけれども、椛目で私は思うのに、本当に親先生に任せとかなんとか言う事を、実はこんなに見易い事はないのだけど、ね、実際それが問題のときに、はたしてそう言う風に任せきれておるかどうかと言う事を思うてみなきゃいけない。
 昨日もある方がある物を買った。でも実際買ってまぁ御礼お届けに出てきた。ところがそのどうも、一番初めに見たときと見本が一寸違うとるような気がする。だからそこに文句を文句言う訳なんです。見本と違うかったとかなんとか。ね、しかもそれ買うたものをわざわざお届けまで来てから、それをもうお届けしてあるじゃない。それを何とかかんとか文句をいいちから、何ならもう返そうごたるふうな、昨日のお届けをさせて、とにかくあんたが納得いくように、先方に聞いてみなさいというふうに。
 神様も妥協しなさらな仕方がない。そう言う風にいうて来るもんですから。あぁいう時にどうでしょうね。親先生に、お許しを頂いて買わせて頂いたの、しかも買わせて頂いたのは、先生まで見てもろうてから買うたもの。例えそれに傷があっとろうが、ちごうとろうがです、ね、ここんところを、私は頂くということを信心なんです。ね、もう本当にそう言う様な事が、皆んなの上にも随分あろうとこう思うのです。何か自分の都合言うてそれを貫ききらん。
 成程神様の、なそげなんふうにしなさればよかたいというて、その妥協しな(さらんごたるふうに言うでしょ。お届けも。ね、先生折角お許し頂いておりましたばってんか、もうちょっと、そのそげんお願いしようと言わな仕方がない。ね、こう言う様な事は我じゃないのです。ね、神様が言うて下さったんだから。ね、久富繁雄さんがもう17、8年も前だったでしょうかね、ブタを買われるときに、勿体島から買うたらよかろうか、ツユガワの方から買うたらよかろうか、とお伺いがあった。
 それはツユガワの方がよかろうと言う事であった。所がツユガワには、もう国男さんがそん時見に行った。所がガリゴが一匹残っておるだけで、これはもう売り物にはならんと向うも言われた。ね、帰りがけ勿体島に寄ったところが、まだよいブタが5,6匹おった。だからお父さん、親先生はそげんいいようさろうばってんか、勿体島の方ば買おうち言って帰って行かれたところが、そんなことあるもんか。
 親先生がツユガワから買えって仰っておるから、それば買うちいうて、ね、あんた行かんな、私は買わんちいうて国男さん腹かいた。お前が行かんなら、俺が買うてくるというて、あのそれを買われました。ね、そんときに、繁雄さんが言うておられます。ね、とてももうそげなんガリゴのさ、もう例えば信心がなかならそげなん、ブタは育たんとぞ。これは神様がもう久冨繁雄じゃなか育てきらん、と言う様な思召しがあっての事であろうから、俺が育てる、俺が買うというてその向うに買いいかしゃる。
 向うもたまがってから、ならこれはもう安くしてから、タダごして分けてもろうて。さぁ所がそのブタが子を産むことばさ、ちょうど皮肉なことですね。あの時分に何とかちゆう横綱がおりましたよ。何十何貫と言う様な大きな。それと同じ太さのですね、が隣に来たんです。私は忘れましたが、何とかちゆう横綱が張っとる時分でした。それと同じ貫数のですね、ブタを隣が買わしゃった。自分がたは病気のそげなんガリゴを買うた。ところがですね、それがもうほんな2、3匹しか産まん。
 それからもうあくる年にすぐ、それはもう肉屋に売らしゃったち。隣が皮肉ですね。それからもう繁雄さん方んとはもう生むこと、生むことばさらか、十何匹づつ生むちゆう、それはこのおかげ話は、私はもう本当誰にでもさして頂いて、ございますけれどもね、それから先ですよ。本当におかげを頂くのは。けれどもそれが何年かして、それこそおかげ頂いたその後でしたね、これはやっぱ繁雄さんの失敗でした。
 まあ余談ですけども、お話に、? こっから御鏡さんのですね、くずを沢山ここで具合悪かったね、もういらんものごとしてから、その繁雄さん方にブタんなっと食べさせて くれんのちやった。それけん、向うでもほんなこてそれこそいらんものごとしてブタに食べさせる。それでちゃんとコロっと死んだ。本当トンコロ。ね、これはもう本当私どんが殺した ようなことじゃった。ね、例えばあんた御鏡さまの一切れでも、命が助かるちゆうごたるとば、まるきりいらんものごとしてやっとる。
 ついあそこまでいきとどいた ?そこんとこ気がつかっしゃれん。もういらんものごとしてからブタに食べさせらっしゃったら、それを食べてコロっと死んだ。しかし長い間もうそれこそ、ようそれこそ子を産みました。その代り途中でもですね、途中でその(きゅうかん?)にもう今日はいよいよ難しか、ち言われたことがありました。あれは田主丸の共励会の晩でした。宅祭りのどっかの晩でした。私が帰ってきたら、丁度繁雄さんがそのことをお願いに見えたとこでした。
 もう難しかろう。家中のものが、ブタ小屋の中に入ってから、もうなぜ擦りしたり、御神酒頂かせたりしたけれども、もうお神酒がのうなったからちいうちから、あのお願いの同時に、御神酒を貰い来ちゃった。そいで私は、御神酒をすぐ下げてやってから、御神酒が通ればおかげ頂くばのちゆうて、私が御神酒を持たせてやった。おかげで御神酒が通った。全快のおかげ頂いた。これはもう本当にそれは、そういうことも途中であったですね、あることは。
 それはもう本当にあのガリゴという、もうその育たん位なんでしたからね。体はとうとう大きくならんなったけれども、子供だけはよう産んだ。問題は子を産ませて、子豚売るのが、そうですからね。あのブタおかれるのは。と言う様にですね、例えばそうこれが一事が万事そう言う風にさいね、もう頂き抜くこと。もう親先生がもうツユガワから買えと仰ったから、もう損とか徳とか傷があるとか問題じゃないって。
 あう言う時どうでしょうかね、折角親先生がお伺いしたばって、これでしたけん、勿体島によかやつがおりますげなけんで、なら勿体島ばお願いしよう、ち言わなしょうがないでしょうもん。ね、ここんにきがです、それこそコロンブスのそうじゃないですけれどもね、そこを貫ぬかなければいけません。そこんところがままよという。親先生が仰ったことだから、神様が教えて頂いたことだからと、ここんところをだからもうこりゃ欲でもなかなければ我でもない。
 誰がなんと言ったって、それを貫かせて頂いて、損傷がそれが例えばどうであろうがそんなことが問題じゃない。そのことによって、例えばどのくらいまたお取り払いを頂くやら、神様のご都合どこにあるやら、御神意が何にあるかということは分からん。人間では。ね、そこんところを皆さんが、いつもまぁ椛目の人達が、殆どが失敗しよると思うです、いよいよのところで。いかに親先生任せに、ある時は都合のよい時だけ。ね、それではですね、もうだから、大体お伺いなんてすることもいらんとですもん。
 こげなん風にちょっと悪か、悪かっちゃよかじゃんの。いま腹決めとかなんこっちが。お伺いするならそうそんなら、ならよか方ばもいっちょんとば、なら片一方の方のをお願いしようかのと言う事になるです。必ず神様妥協しなさるです。だからそれではもういかんです。ね、ここんところを頂かなきゃ。それは例えばなら私共がここまでおかげを受けてまいりました事もです、言うてみれば気安い言、みやすい言。ね。
 席上である人が気安いこつじゃないか、と真っ直ぐ行きさえすりゃ、またここえ戻って来るのだから、そうだと見やすいことなんだ。皆さん、皆さんのお膳の上にある卵をいっぺん縦に立てて見てご覧ち、コロンブスが言った。誰も立てきるものがおらじゃった。それでお膳の角に向けてカツカツいわせてから、傷を入れてから立てた。皆さん卵は立ちました。いやカツカツいわすんなら立つくさい、と皆んなが言うた。さあそれなんだって。ね、その智恵なんだと。ね、
 それが出来ないんじゃないか皆んなが。だから今までは、なら私達どんで立てきるってカツカツいわせてから、皆んな立てしよる。ね、だからそこんところをです、やはり貫かせて頂くと言う事は、その見やすいよう、見やすいけれどもです、ね、そこにはやはり度胸と智恵とがいるということ。工夫がいるということ。ね、お互いが1つね、自分が我でも通すときのごたる勢いで、いっちょそげなんところを、1つ通り貫かせて頂いたらです、お徳が受けられます。
   どうぞ。